江戸時代の測量
誰でも一度は耳にする「伊能忠敬」。日本地図を作った人として有名な人としか認識していなかったのですが、自分で測量をするようになってから、伊能忠敬は実際どのような方法で日本を測量していたのか興味が湧いてきました。
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伊能忠敬は50歳で測量と天文学を学び始め、17年の歳月をかけて日本全国を歩き、測量し、正確な地図を作成したそうです。GPSや精密な測量機器もない時代に、伊能忠敬は北海道を始めとする日本全国の測量を行い、その情報をもとに地球の直径をほぼ正確に算出したというのですから、当時の技術力を考えると、これは驚異的なことです。
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伊能忠敬は、測量に「導線法」という方法を用いました。これは、基本的には「歩いて測る」というシンプルな方法です。測量する地形に沿って「測点」を決め、そこに「梵天」と呼ばれるポールのような目印を立て、鉄鎖や間縄を使って測点と測点の間の距離を測りました。また、杖先磁石という、現代の方位磁石のようなもので角度を測り、方位と距離を測りながら前に進んでいきました。
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伊能忠敬が使用した測量器具には、鉄鎖や間縄の他にも、量程車や方位盤、象限儀などがありました。量程車は、車輪と歯車のついた箱状の測量器で、地面に置いて車輪を転がしながら進むことで、車輪に連動した歯車が回り、移動した距離が表示されるようになっていました。ただし、砂地や凸凹した道では距離が正確に測れなかったため、限られた地域でのみ使用されました。
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方位盤は、小方位盤と呼ばれる羅針盤を杖の先に取り付けたもので、杖が傾いても水平が保たれるようになっており、平地では三脚で固定して使用し、傾斜地では杖を地面に突き立てて使用しました。これにより、遠くの目標物の方角を測ることができました。
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象限儀は、扇形の道具で、坂道の傾斜や星の高度を求めるために使用されました。伊能忠敬が使った象限儀には、杖先小象限儀、大象限儀、中象限儀があり、特に杖先象限儀は、導線法により2点間の距離を求められても、その2点間が坂道になっていると地図に表す時に距離が異なってしまう問題を解消しました。
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これらの道具を駆使して、伊能忠敬は55歳で測量を始め、17年かけて通算4万キロの道を歩き、日本全国の地図を作成しました。彼の作った地図は、その後の日本の地図作成の基礎となり、今日に至るまで価値を持ち続けています。
今より相当平均年齢が低い時代の55歳で日本を歩き回ったその信念や探究心は凄いです。本当にいくつになっても知的好奇心は失ってはいけないと感じました。